虫の心5

虫の心を操り、虫の心を統べしもの。そんな虫の心マスターを、便宜的に虫使いと呼ぶことにいたしましょう。虫使いは虫使いを知る。そうなのです。何故かはわかりませんが、虫使いである私には、心を閉ざして不感症になっている、虫のような人が分かってしまうのです。ああ、こいつは虫だ、ああ、あの子も虫だ。そして、悲しくなる。こんな事をしている人間が、私以外にもいたなんて。そんな事してても、いい事なんてないのに。

 

ちょっと待て。虫の心を用いることによって人間関係を円滑に進め、軽減したストレスによって日々の営みも軽くなる。そんな事をおまえは言っていたではないか。虫の心マスターだとか虫使いだとか言ってたではないか。どうなんだこの野郎。と言われる方もいらっしゃるでしょう。確かにその通りなのですが、ひとつ申し上げておきたいのは、私は自ら望んで虫使いになったのではない、という事です。気づいたらなっていた。そして、そんな風にしか出来なくなった。確かに虫使いになることによって、ストレスは減ります。変な圧をかけてくる人間も、不安しかあおらないような出来事も、どうでもいいことにしか感じなくなるから。そんな事って本当にあるのかよ、と思うかもしれませんが、ちょっと思い出してみてください。と言っても、ここからこのブログを読みだした方は知らない話ですが、私はアルコール依存症で、もう五年も酒を飲んでいない。酒をやめられる人は、5%とか1%とか、色んなこと言う人がいますが、少ないのは間違いない。それなのに私が今のところ飲まないでいられているのは、虫使いだからです。音楽を作る事で何もする事がない時間を潰し、虫の心を用いる事で自らの心を殺す。この二本立てで、私はアル中と渡り合ってきたのです。間違いない。いきなり身も蓋も無い事言いますけど、飲酒欲求に比べれば、世の中のほとんどなんて些末なことですよ。なのでアル中にだけは虫使いになる事をお勧めします。なろうと思ってなれるもんでもないかもしれないけど。

 

恩恵を受けまくっているはずなのに、いい事なんてない、とまで思ってしまう最大の原因。虫の心を用いる事による一番大きな弊害。それは何か。私が思うにそれは、不感症状態に自らを持って行くことによって、自分が何を考えているかも分からなくなる事です。心を殺す、なんて書きましたしね。確かに死んで行くのです。次回はその辺を見ていく事にいたしましょう。ではでは。(6へ続く)