泊の思い出


小学生の頃、クラスメイトのKという奴に誘われて、年に一度、大勢の大人たちと大型バスで海水浴に出かける、というのが恒例行事になっていた事がありました。彼の母親はすすきのでスナックを経営していて、今思い出すと、そこにいた大人達というのは、その店の常連だったのでしょう。バスの中からガンガン飲みまくり、海に着いても飲みまくり。飲んで泳いで、溺れて死んだ人が出た年もあって、その時は新聞記事にもなって、大騒動だった。夏休みの日記に書いたしね。一緒に海に行った人が死んだ!なんて。


そんな酔客たちの中に置かれた、店のママの子供というのは、たぶん居場所なんて無くて、母ちゃんは常連の相手をしてるし、酔ってるし、僕は彼の遊び相手としてあてがわれ、何となく招かれていたのだと思います。「あんたのお友達も呼びなさい」みたいな。


二人でフジツボを取って焼いて食べたり(かなり旨かった!)、爆竹でうんこを爆発させたり、地元の人に銛をもらって、魚を追っかけたけど、全然採れなかったり、もう30年近く前のはずなのに、今思い出そうとしたら、かなり思い出せる!楽しかった。子供の頃の思い出って、貴重だね。


そんな一行が、毎年向かった場所が、泊村という場所でした。本当に何も無くて、寂れた漁村という感じだったけど、港の近くにきれいな岩場の海岸があって、泳ぎの上手い人が採って来た貝を食べたりしながら、そこに陣取ってどんちゃん騒ぎをする、というのが恒例になっていました。


その泊村に向かう道が、いきなり凄くきれいに舗装され、村の施設も何となく小綺麗に変わっていった頃、何が起こっていたかというと、村に原発が作られる事が決まっていたのでした。僕等がいつも陣取っていた海岸から見える場所に、ある年、突然大きな真新しい建造物が出来ていたのを、覚えています。あれは原発だったんだなあ、なんてチェルノブイリの時思い出し、今もまた、思い出します。


原発がもたらす雇用や交付金が、田舎の小さな町にもたらす効果やなんかは、泊村の事を思い出して、何となく思い描いています。でかそう!無くなったら、また貧村!


何が一番良いのかわからんけど、一度全部原発を停めてみて、「この位の生活になりました」というのを、みんなでやってみたい。デモとかしてる人も、一回やってみなきゃわからんだろう。別にディスるつもりはないけど。俺もわからんし。スローライフとかも、そういうものなんじゃねえの?知らんけど。みんなでキャンプ行ったと思って、原発停めてみよう!どうなるかはお楽しみ!でも、製造業とか、本当にやばいのかな…